「肩書」がなくなる前提で働こう

woman demonstrating blank business card in light room

本日は、「”肩書き”が通用しなくなった世界での働き方」について考えていこうと思います。

この記事は、2022年6月19日に放送された毎日放送のドキュメンタリー番組『情熱大陸』から着想を得ています。ゲストは、映像作家のOSRINさん。(King GnuのMV等で活躍している方です)

もう配信も見ることができなくなっているかもしれませんが、番組中に彼がアシスタントの仕事ぶりを注意する場面がありました。確か、MVのサムネイル制作を任されたアシスタントが複数の候補作品をOSRINさんに渡したんですよね。

その時、彼はこう言ったんです。

「だったら自分(OSRINさん自身)で考えるわ」
「お前(アシスタント)の意志があるかないかでしょ」
「その仕事の仕方してたら消費されるだけだよ」

受けの良さそうな作品をいくつか作って、決定権はOSRINさんに委ねる……それじゃあダメだよという意味ですね。

これらの言葉に痺れたクリエイターさん、私以外にもいっぱいいらっしゃるんじゃないでしょうか?

消費されてもよかったのは「資本主義時代」まで

これまでは、そういった仕事をしていてもガンガン経済は回っていたはずなのです。

大量生産・大量消費でお金を回転させることが成功する王道だった、資本主義時代ですから。

むしろ再現性可能なものが選ばれて、お金がより効率よく回るよう安くたくさん生み出せるものが喜ばれて、大量にあるモノの中から消費者側が「選べる」ということが価値となっていった。

商品だけではなくエンタメでも……ほら、アイドルとかまさにそうでしょ?

でも、資本主義が終わればそういう働き方も自然と終わりを迎えるのです。

OSRINさんはその過渡期の先端を走っている「消費されない」クリエイターとして、先ほどの言葉を残したんですよね。(言うのは簡単だけど、体現できるのはやっぱりすごい!)

次に価値が置かれるのは、作り手の「意志」

資本主義とは、富める者が労働者を雇い、できるだけ低賃金・重労働をさせることによって富をさらに増やし分配していくシステム。極端に言ってしまうと、そういうことです。

しかし、次の時代では、その「労働者」の役割が「デジタル技術」に代替えとなります。

すると、人が作る再現性可能なモノ(=誰でも作れるモノ)や機械のように意志のない仕事には価値はなくなり、もっと言えば「その工程そのもの、その職業そのものが、もう無くてもいいよね」となってしまうかもしれません。例えば、事務とか運送業とか……。

私はライター(文筆業)ですが、将来はWebライティング・インタビュー記事・雑誌作り、ほとんど全てが機械によって行われることになるかもしれません。

そんな中で「どうすればライターを続けられるか?」と考えたときに、やはりOSRINさんの言葉通り「仕事にどれだけ意志を込められるか」が大事になってくると思うのです。

もちろん、仕事内容によっては作品に意志を投影してはいけないケースもあります。でも、仕事相手とのやり取りや販売・プロモーション方法などの「仕事のやり方」については、必ずその人の意志が出てくるはずなのです。

そこを見て、「またこの人と仕事がしたい」「この人の作品をもっと読みたい」と思われるようなライターを最低限目指していかなければと思いますし、できれば作品自体から意志がしっかり伝わるライターとして選んでもらえるようになりたいと考えています。

「肩書のない世界になったら…」と想像してみよう

ただ、「仕事に意志を込める」と言っても、具体的に何をすればいいかは難しい問題です。

そこで日常的にできそうな訓練のご提案なのですが、時々ふと「自分の肩書がなくなった世界」を想像してみるのはいかがでしょうか?

例えば、お医者さん。まだまだ未来にも必要な仕事かもしれませんが、仮にすべての医療が機械化されて、人が診療・手術する必要がなくなったと想像してみてください。

すると、人が医療現場において「求められるところ」「意志を込めるべきところ」「機械にはできないこと」ってどんなものがあるでしょうか?

ちなみに、私はこう考えてみました。

  • 人が病気になる前に、予防策を提案すること
  • 定期健診などを通じて、自覚症状がでる前に病気を早期発見すること
  • 重篤な人への緩和ケアを行うこと
  • 医療デマ情報を止めて、正しい知識を発信すること
  • 苦しむ人に適切な声がけや接触(触る・なでる・さするなど)をすること
  • 機械的ではないカウンセリングを行うこと(一方的に話を聞くとか)

これらに共通しているのは、「人に安心感を与えること」だと思います。

病気になった後の問診や治療・施術・手術は機械でもできるかもしれませんが、病気に直面した人を安心させるには、機械よりも人によるケアがまだまだ必要だと感じるのです。

ちなみに、ライターの仕事としてはやはりよりクリエイティブなもの、例えば小説とか脚本とかエッセイとか、人の心に届くような文章が書けるようにならないと生き残りは厳しいだろうなと考えています。

すると、肩書のない世界で私がこれからどこに進んでいけばいいか……次の時代へ移り変わっても自然と方向性に迷うことはないと思うのです。

みなさんも、ぜひ。

では、また次回!

おすすめ記事