本日は、「元ローマ教皇・ベネディクト16世、崩御の社会的意味」について学びなおし。
こういった国際的要人の死については、事実よりもタイミングのほうが重要です。
元ローマ教皇の崩御が発表されたということは、来年以降「世界は宗教政治から脱する」ことを意味しています。
キリスト誕生から2千年以上続いた「宗教と政治の蜜月(悪く言うと、癒着)」の関係性が、2022年末をもって絶たれることとなったのです。かなり歴史的な瞬間ですよ!
終焉のきっかけは、2002年のスキャンダル
日本では今まさに統一教会がスポットライトを浴びていますが、米国では2002年にカトリック教会の性的虐待事件が明るみに出てからずっと、少しずつではありますが宗教と政治の癒着問題は解消されようとしていました。
最近亡くなったベネディクト16世は在職中、この事件が大きく問題視されると体調不良を理由に教皇を辞任します。これは歴史的に見てもかなり異例の出来事でした。
ベネディクト16世がどんな気持ちでその職を辞したかはわかりませんが、少なくとも問題山積みの中で大きなスキャンダルが露見し、従来の予定通りの職務を全うできなくなったと判断したのでしょう。
ちなみに、そのバトンを受け継いで現在のローマ教皇となったのがフランシスコ教皇なのですが、彼は史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇として、これまた異例の存在です。
イエズス会といえば、戦国時代から江戸時代にかけて日本へ積極的に布教(という名の政治活動)をしていた宗派。これも何となく、「時代の過渡期」と「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉を感じさせる出来事ですよね。
資本主義=宗教政治
宗教というのは、信じる人にとって尊いものです。もちろん、清らかな宗教という側面もあるでしょう。
しかし、少なくとも総本山・バチカンやそれを運営する上層階級には、先ほどのスキャンダルのような闇の部分があると言わざるを得ません。
宗教というのは、太古から人間を管理・統括・支配するためのいわばツールとして利用されてきた側面がどうしてもあります。
このような宗教による支配政治体制は、産業革命以降の資本主義経済を構築する上で、さらに加速することになりました。
日本の統一教会と自民党との関係性を考えれば、それは明らかですよね。
宗教によって(とくに貧しい)人々の心を救い、同じ思想・政治観に染め上げ、同じ政治家・政党を応援させ、賄賂などで政治を買収して、組織をより巨大化し……という無限ループの完成です。時が経てば、宗教も政治も企業もみんなが同じ穴のムジナ状態。
日本のみならず、世界的・歴史的にバチカンを中心としてそんなことが当たり前に行われてきた2千年間だったのです。
ベネディクト16世は、いわばそのラスボス。(※彼自身が悪人だと言いたい訳ではありませんよ!)
辞任前後の世界と、崩御前後の世界の類似
例のスキャンダルが発覚したのが2002年、ベネディクト16世が辞任したのは2013年。
その間、時代は大きく動きました。
- 2003年:イラク戦争、SARS(中国・広東省を起源とした重症な肺炎)大流行
- 2007年:iPhoneの初代モデルが登場
- 2008年:リーマンショック
- 2011年:アラブの春、東日本大震災
- 2014年:ウクライナ危機
順序は違えど、今と類似している部分が多くありますよね。
戦争、疫病、テック革命、自然災害、中東近辺の紛争……。
結局、世界を変えるには同じ工程を踏む必要があるということなのだと思います。
近年は、すでに疫病、戦争、テック革命が起こりました。
ということは、今年以降、私たちが注意・注目したいのは、自然災害・中東近辺の紛争といったところでしょう。とくに日本は、自然災害に注意したいですね。
そんな訳で、昨年末のベネディクト16世崩御の知らせを受けて、「2千年以上続いた宗教政治の終焉」と「世界の方向転換」をより強く感じた次第です。
では、また次回!