【特別インタビュー】「親子だって、“ひとり”と“ひとり”」よっぴーさんにコロナ禍の子育ての不安をぶつけたら、単純明快な答えにハッとした!(後編)

前編に引き続き、まだまだ「よっぴーさん」にお話を聞いて、【どんな時代になっても変わらない、親子の在り方】について、学びなおし。

前回は、私の焦りと不安に対して「子育てって、多様性があっていいんだよ」と優しく解消してくれました。

後編では、子育て中に縛られてしまいがちな「社会からの刷り込み」や「固定観念」から解放されるための考え方を学びましたよ!

自己肯定感なんて、子どもはもともと持って生まれてくるんだから

実は私、もう一つ、よっぴーさんたちのおかげである“勘違い”に気がついたんですが……。

オヤトコ発信所のコラム「文科省の「子どもの自己肯定感を高める方法」にご用心!」は、それこそ私の固定観念を崩してくれる衝撃的な記事でした。

「子どもの自己肯定を高める」って、それ自体が押し付けてるような、無理をさせているような……子どもを大人の都合で誘導していたんですよね。
私もついつい「子どもには自己肯定を育ませなければ!」と刷り込まれていましたよ。

自己肯定感って「与える」「させる」じゃなくて、ただ「奪わない」ようにさえしておいたら、子どもはそのまますくすく育ってくれると思うのね。

奪わない……ですか?

自己肯定感なんて、子どもはもともと持って生まれてくるんだから。

それを親が日常の中でつい、「お兄ちゃんを見てごらん」「妹を見てごらん」というふうに他人と比べさせて、だんだん低くさせていっているだけだと思うのね。

その子のまんま、大きくなっていけばいいのに。

うう、心当たりがあり過ぎて……。

今の社会全体がそうだからね……。
子どもを一括りにすることも、自己肯定感という押し付けも、いずれも資本主義のシステム(=労働者を量産するシステム)にやられちゃっている。

もちろんそれが合っている人はいいかも知れないけれど、できない人も当然いるから……。

社会の刷り込みや固定観念に、まずは「気づく」ということが大事ですね。

気づくだけでも、景色が変わって見えそうです!

そうそう!

自己肯定感という言葉がトレンドになる以前も「コミュニケーション能力」というのがもてはやされて、「コミュ障」なんて言葉ができたり、大人向けの教室が流行ったりして……。
私としては「ああ、今度は自己肯定感なんだな~。次は、どんな言葉がトレンドになるのかな~」なんて思ってますよ(笑)

資本主義のシステムが合わない人には「世の中、そういう仕組みになっているんだな~」ともっと気楽に捉えてほしいですね。

真っ白な子どものままで育ってほしいという願いは、これまでもこれからも一貫して変わらないですね

ただ、親も子も資本主義のシステムに違和感を持っていたところで、いざ外に出るとガッチガチの固定観念だらけっていうのもつらいと思うんですが……。

私たち親子は、そんな内と外のギャップにどう対応していけばいいんでしょうか?(必死)

家の中でちゃんと気づいていれば、大丈夫ですよ。

暮らしの中で「自分というものを確立していく」というのを意識するだけで変わってくると思う。

子どもは大人の価値観から、もろに影響を受けちゃうから……。
親自身が常に「これはこうあるべき」という固定観念にとらわれていないかを意識するだけで、子どもの成長は違ってくるはずです。

家の中で「自分の感性を大切にすること」を身に付けた子どもなら、社会に出てもすごく豊かな適応力を発揮してくれると思います。それがどんな社会であってもね。

どんな時代になっても、自分を確立していれば……。

そう。自分の感性がとにかく大事なんだって。

それを親は、無意識に否定してしまうことがあると思うのね。親と子の考え方が違っても「そうか、この子はそう感じるんだー」「今日また私は、新しい価値観を知れたな。多様になったな」と捉えればいい。
親と子のすれ違いって、1日のうちに何回も起こるじゃないですか(笑)

起こります~!!(回想中)

すれ違いを重ねて、10年20年……それを前向きに受け止めるか否定してしまうかでは、相当変わってくると思いますよ。

これはコロナ禍でもどんな時代でも関係ない。
真っ白な子どものままで育ってほしいという願いは、これまでもこれからも一貫して変わらないですね。

『ひとりの時間が欲しい』と思うかどうかは、自由というものをどう捉えているかの違いなんじゃないかと思いますね

私も、子どもの感性をそのまま受け止められる大人でありたいと思います。
……が、正直、ずっとずっと受け入れっぱなしっていうのも私にはしんどいです(汗)

よっぴーさんは、子育て中そこまでしっかりお子さんと向き合われて、疲れてしまったことはないのでしょうか?
「ひとりの時間が欲しい」と思ったことはありませんでしたか?

う~ん……ないですね。

感覚的な話をしてしまうんだけれども。
私たちって、ひとりになりたいって思っても、完全にはなれないわけじゃない? 気晴らしに温泉行っても、買い物行っても、必ず誰かはいる。
家の中で家族がいても同じ。これはもう精神の捉えようだと思うんですよ。

ただ、「親だからちゃんと子どもを育てなきゃ」「子どもに何かを与えなきゃ」って思うとしんどくなりますよね。

はい。今まさに、しんどいです……。

でもね、例えば「子どもは20時に寝かさなきゃいけない」って思っていたら、19時半になったら親は「寝かさなきゃ」モードになってしまって準備に躍起になってイライラしちゃう。

それって、何が何でも「20時に寝なきゃいけない」「寝て欲しい」と思っているからでしょ?

あ……確かにそうです。
寝かせたい時間から逆算して、子どもに「早く早く」と急がせてしまいます。

でも、それがなかったら?
私の場合は、本や映画に夢中になっていてハッと横を見たら子どもはもう寝ていた……なんてこともしょっちゅう(笑)
感覚的には、子どもがうんと小さい時でもそうだったなぁ~。

結局、「ひとりの時間が欲しい」と思うかどうかは、自由というものをどう捉えているかの違いなんじゃないかと思いますね。

子育てを不自由に感じたら、「自分の中にまだ『~ねばならない』っていうのがたくさんあるんだな」ということに気づけるから、私はありがたいな~と思っていますよ。

子育てって、私が思っている以上に自由でいいんですね……。
ずいぶんと気持ちが軽くなりました。

親子とは言え、“ひとり”と“ひとり”だし。そして“ふたり”だし。
一緒に生きる、ふたりを生きるという感覚ですね。

ふたりが、自由を、生きる。

子育ては私に「互いに共存・共生して、心地いい暮らしになるにはどうしたらいいのかな」という課題をくれたんだと思います。

これって、子育てというより、まるで夫婦関係やパートナーシップのことみたいですね。

うんうん、本当にそうだね。

私は子どもを「子ども」っていうふうに見ていないから。
人格と人権を持ったひとりの人として見ているから。

「自分とは違うひとりの人と、どうやって一緒にふたりを生きていくんだ?」っていう問いについて、いつまでも考えていられたのが楽しかったな(笑)

わぁ~素敵!

そっか! 私も、悩んでばかりですけど……何だかんだ言いながらそうやって、子育てを楽しんでいるんだと思います!

そのことに、今ようやく気がつきました!!

そうそう!

子どもと付き合っていて、カチンとくることっていっぱいあるじゃない?
その時、「そっか私は『~すべき』という思い込みを持っていたんだ!」とか「わぁ嬉しい! また一歩、私の中で考えが広くなった!」って思う。

そう思えるのは本当に、子どものおかげです。

子育てを通して学べることって、たくさんあるんですね。

子育ては『高尚なはたらき』の一つだと思う!

私はかつて、子育て期間を「ブランク」だと思っていて……社会と繋がれないことに強いコンプレックスを抱いていたことがありました。

しかし、よっぴーさんの話を聞くと決してそうではなくて、子育ては親にとっても得るものが多い時期なのだと思えてきます。

子育ては「高尚なはたらき」の一つだと思う!

それに、とてもクリエイティブ!

ほんとにね。
だって子育てって、一秒先がわからないんだよ?
他のお仕事ならプロジェクトを組んで、想定して進んでいけることもあるかも知れないけれど……。

子どもは、自分よりうんとクリエイティブな人たち。
そんな人たちと関わると、自分の小ささや“しょぼさ”を感じることができる(笑)そりゃあ、楽しいよ!

自分の“しょぼさ”を実感しても、楽しい……ですか?

だって毎日がクリエイティブで「創造!創造!創造!」で。
子育ては、何がどうできていくかなんて全くもって未知の世界なんだもの♪

(よっぴーさん、すごくウキウキしてる♪)
そっか、それはやはり「楽しい」ですね!

自分の思い込みを取っ払って自由になれば、コロナ禍で不便が多い中でも、子どもと楽しく過ごそうです!

子どもが『生まれた禍』と子どもが『生まれたおかげ』どっちで捉えるかで雲泥の差があると思うんですよ

「コロナ禍」という言葉もね……。

この「禍」って、不幸な出来事や災難を指しているじゃないですか。
だからどうしても、思考が「不幸な出来事の中でどうしたらいいか?」ってほうへ行っちゃう……。
でも、「コロナ禍」ではなく「コロナのおかげ」と捉えることができる場合だってあると思うのね。

子育てだって同じで、「子どもが生まれた禍」と「子どもが生まれたおかげ」。どっちで捉えるかで雲泥の差があると思うんですよ。

あ~! 私、ついつい「子どもがいる禍」みたいな発想になっていました!

子どものことが、すごく好きなのに……。

私たちが取り組んでいる不登校・不登園についても一緒でね。
親は、子どもが「学校(園)にいかない」って言ってくれたおかげで、今まで知らなかった世界が見れて、考え方が増えて多様になれるんだと思う。

コロナでも、子どもがいても、子どもが不登校でも、「禍」じゃなくて「おかげ」というふうに考えたほうがいいんじゃないかな。

何事も、捉え方ひとつなんですね……。

子どもがいて「ひとりの時間がない」っていうのも、子育てにおいて「~しなきゃいけない」っていうのも、全部が同じだと思うんですよ。

コップの水の有名な例えがあるけれど、お水が「もう半分しかない……」と考えるか「まだ半分ある!」と考えるか、もし空っぽになっても「また新しいお水が満タンに入るじゃない!」って思えたら……

同じモノを見ても、気持ちが全然違いますね!

子どもって、特にそれを教えてくれる存在なんじゃないかと思います。

子どもって、圧倒的にポジティブですものね(笑)

そう!

子どもって、お水が空っぽになったコップにも、好きな葉っぱを入れてみたり、おひさまを入れてみたり……いろんなことをすると思うのね。

確かに~!

ないものねだりするのは、大人ばかりですね……。

そうそう(大笑)

大人と子どもの違いを知ると、子どもと過ごすことが面白くって教えてもらうことだらけ。
自分では思いもしなかった発想がどんどん出てくるんですよ。
子どもと、ふたりを、生きる。ということも、発展させていくことができる。

そういう意味では、私たちは恵まれているから、こんなにうれしいことはないよね~。

子どもと一緒なら、何でもできそうな気がしてきました!

そう。

それなのに大人が、子どもを比較したり評価したりするって、すごくもったいないから……。

親も子も「気づく」。まずは、そこからだと思いますね。

今後また、社会からの刷り込みや固定観念に縛られそうになるかも知れませんが……。

その時には、何度もよっぴーさんの言葉を思い出して、多様性に気づきながら、子どもと向き合っていこうと思います。

全体の感想・まとめ

私も実は、学校を窮屈に感じていタイプの子どもでした。

しかし、大人になって親になった途端、子どもの頃の違和感などは忘れ去ってしまって、あの頃の大人たちのように「~しなければいけないよ」なんて、子どもに言って聞かせていたんですよね……。

それだけ年月を経て、社会の資本主義のシステムに操縦されていたということなのだと思います。もちろん便利な部分もあるのかも知れませんが、やはりその“ほころび”は末端の子どもたちへ向かい、生きづらさとなってしまうのでしょう。

今しかない子どもとの貴重な時間ですから。
社会ではなく、子ども自身とじっくり向き合わなければ損ですよね!

では、また次回!

参考リンク

よっぴーさん・まりんさんによるコミュニティや書籍などを一覧にまとめてみました!

子育てのアイディアが欲しい方・「学校以外の学び場」に関心がある方には、大いに参考になるはず。

ぜひ、チェックしてみてください!

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