【コラム】毒親か否かは子どもが決める。そして私は「ほしかった親」になる。

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Twitter内で、気になる投稿をみつけた。

「受験直前に子どもと大泣きのけんかをしてしまった……」という旨だった。

それに対しての、いわゆる「毒親育ち」な人たちの反応が、ちょっと酷い。

私も、自称・毒親育ちなだけに、彼らの気持ちがわかる。
そして同時に、投稿者さんの親心もわかる気がする。

先の投稿と、それに対する反応を見て、思うことが頭から離れなくなってしまったので、ブログに書き留めておこうと思う。

毒親育ちのトラウマは、永遠

親はたいてい、子どもより早く死ぬ。また確実に、早くボケるし、性格も年寄りらしく丸くなる。

つまり、毒親育ちな人たちがトラウマや葛藤と闘っているさなか、その毒親たちは昔の面影を残していないことが多いのだ。

うちの親も、昔のことなどすっかり忘れて私のことを「東京で仕事しながら、子育てまで親・親戚に頼らずやっていて、すごい!」と褒め称え、孫たちを「賢い賢い、世界一」と溺愛する、ごく普通のジジババになってしまった。

私、今まさにそんなジジババから受けた厳しい教育のトラウマで、子どもを独裁的に強く叱りすぎないように毎日神経すり減らして生きてるんですけれど……。

どんな間柄でも、いじめた側は過去を忘れてけろっとして生きているのに対し、いじめられた側の心の傷は一生モノだったりする。

毒親育ちも同じで、当たりどころのない気持ちを常に抱えていて、今回のような投稿に自分の家庭環境を重ね合わせずにはいられなかったのかもしれない。

でもね、それは歯向かうべきところを完全に間違っていると思うのだ。
毒親育ちが闘う相手は、自分や自分の親であって、よその毒親ではない。
ましてや、よく知らないよその親御さんを「毒親」だと決めるける大義名分すらないはずだ。

だって、毒親かどうかは育てられている(育てられた)子ども本人が決めることだと思うから。
「毒親」って、要は、子どもの主観で決めていいものなんじゃないのかな……?

周りからは「恵まれている」と言われても、私にとっては確かに「毒親」だった

私の場合は、周りから何不自由ない家庭で育ったと思われているはずだ。

実にその通り。

両親ともに平均よりやや収入が多く、おもちゃも本も山積みになるほど買ってもらえて、旅行にも国内外たくさん行かせてもらった。趣味にもお金を払ってもらった。勉強も熱心に面倒をみてもらった。

でも、それでもやっぱり愛情的に足りない部分が、幼少期の私の心には確かにあって。例えば、個性を認めてもらえない、学校の優等生像を押し付けられる、話を聞いてもらえない、対等に話し合いができない、父親から感情的に怒鳴られる、常にビクビクして父の顔色を窺わなければいけない、母はそんな父に精神依存していて私を助けてくれない……などなど。
よその人からは見えるはずがないし、わかるはずもない問題が、わが家にはあった。

「毒親」という言葉がこの世にあって、本当によかったと思う。
私はそれで、救われた。

「毒親」という言葉や中身を知って、初めて「私って、毒親育ちかもしれない……」と気づくことができた。
この言葉がなかったら、私はまだ自分の中のモヤモヤが定義できないままで、「恵まれた環境で育ったはずなのに、感謝できないひねくれた子」というレッテルを自分自身に貼り付けて、呪っていたと思う。

そして、毒親育ちであることをはっきり認めることで、「わが子には絶対に同じことをしないぞ! 子どもの気持ちを尊重した子育てをするぞ!」という明確な目標ができた。

繰り返しになるけれど、親が毒親かどうかは、子どもの主観で決めていい。
いじめと同じで、受けた人がアウトだと思えば、アウトなのだ。

目指すのは、子どもの頃に「ほしかった親」の姿

実際、子育てを経験してみると、手を出したり怒鳴ったりする親の気持ちがわからなくもないほど、子どもというのは思い通りにいかないものだ。

また、「わが子を保護しなければ」という気持ちからつい口を出し過ぎて、お節介を焼いてしまうこともある。

子どもを怒鳴ったり、泣かせたりするたびに、幼少期のトラウマがフラッシュバックする。「私いま、まさに一番なりたくない親の姿になっている……」と頭を抱え込んだり……。

そこで私は、一つの解決策を編み出した。

それは、子育てで自己嫌悪に陥りそうになったら、すぐに「私が“ほしかった親”の姿をイメージする」というものだ。

例えば、私なんかはこんな感じ。こんな親に育てられたかった。

  • 私の話を興味深く聞いてくれる
  • 私の個性を認めてくれる
  • 私のやりたいことを全力で応援してくれる
  • 年を取っても夢・目標に向かって努力している
  • 人としてチャーミングな緩さがある
  • 一緒に悪口が言える
  • 対等に会話してくれる
  • 意見やアドバスよりも、私の話を聞いて受け入れてくれる
  • 怒らず、諭す
  • 生き方で手本を示してくれる
  • 条件を突きつけず、無条件で私を信じてくれる
  • 私の伸びしろ(根拠のない自信)を信じてくれる
  • 私の話を最後まで、遮らずに聞いてくれる
  • 私の気分(コンディション)に合わせて、生活を調整してくれる。大人ルールで縛らない

主語が「私」ばかりでしつこくなってしまったけれど……。
子どもに戻ったような気分で、素直に思ったままを書き出してみた。

これを見ると、子どもが生まれてからの自分が、いかに「子どもの頃ほしかった親」から遠ざかっているかが痛いほどわかる。

子どもの頃の私は、完璧な親がほしかったわけではなく、大人目線でのいい親でもなく、一緒にいて気楽な親がほしかったのだ。

それがわかると、心が落ち着く。そして、また子どもに笑顔で向き合えるし、わが子を愛おしいと思える。

毒親育ち卒業は、一生の課題。人に当たらず、己と向き合おう

Twitter投稿の話に戻るけれど、毒親育ちは他の毒親に対してもアンテナを高く張っている場合が多い。
気になる気持ちが、よくわかる。よその子どもを見過ごせない気持ちも……。

でも、そこで批判的なコメントをしている人は、自分自身の過去をよく思い返してみてほしい。

表面的な部分から自己を全否定される辛さ、何も知らない人から個性を見定められる虚しさを、毒親育ちの人は誰よりも知っているはずだ。

先ほども書いたけれど、毒親育ちのトラウマは、ほぼ一生つきまとうと言っていい。そして、トラウマから解放されるには、自分の心と葛藤するしかないのだ。

他人に怒りの矛先を向けても、自分のトラウマが解決する訳じゃないし、よその親を変えられる訳じゃないし(あなたの親も、そんなことで心変わりするような人じゃなかったでしょ?)、子どもを救える訳じゃない。

同じ毒親育ちで、よその親に物言わずにいられない人に対して、私は「焦らず、無理せず、ゆっくり、自分を自由にしてあげましょう」と言いたい。

毒親育ちで他人を救えることがあるとするならば、やはりSNSなどで自分の体験を発信することだと思う。それも、他人に絡むことなく、淡々と。

それを見てくれた子どもが、いつか自分の育てられ方に疑問を抱く日が来るかもしれない。親との関係に苦しんでいる人に届いたら、それ以上の成果はないと思うのだ。

だから私も、こうして時々、自分の体験や考えを書いている。
毒親育ちであることの影響や葛藤も、これからますます子育てを通して増えていくはずだから。

書くことで、毒親育ちであることに、とことん向き合っていくつもりだ。

では、また次回!

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