white row boat on body of water

本日は、「日経平均株価を予想しても意味ないよ~」という話を、できるだけ合理的にしていきたいと思います。

※本記事は、経済の専門家を批判する意図は決してございません。ましてや個人の主義主張を批判する目的もありません。

日経平均が3千円vs10万円!?

本記事の着想になったのは、不動産投資サイト「楽待」が運営するYouTubeチャンネルにて、経済学者のおふたり(森永卓郎さん、朝倉慶さん)が日経平均を予想していたことから始まります。(やたらとおすすめに上がって来るのです…)

「日経平均3000円vs10万円」という驚くほど両極端なお考えです。それはそれでおふたりの長年の知見から導き出された数字でしょうから、よいのですが……。

どの道、続く訳ないじゃん…

まあまあ、この先、国内外の経済に何が起こるかわかりませんから。一時期、株価が3千円まで落ちることも10万円まで跳ね上がることも、ないとは言い切れません。

しかし、そんな持続不可能な社会が何年も続けば、日本経済は企業も人も総崩れで機能不全になってしまいます。

日本はこれまで物理的に大破するような戦争や災害があっても、人が生き続ける限り5年~10年で立て直してきたのですから、たかが指標の株価が何かの拍子に大きく乱高下したって必ず数年かけて救済措置を経て復活するはずなのです。

例えば、日経平均が3千円まで落ち込めば、再びマイナス金利や大胆な金融緩和を行って公共事業を増やすとか。10万円になればそれこそ貨幣の信用価値がなくなってしまいますから、金融を極端に引き締めるとか。あるいは、もう現行の金融システムが続けられないなら新しい形にリセットするとか。現実的な対策はいくらでもあります。

日経平均が3千円になろうが10万円になろうが、いつまでもそんな状態が続く訳はなく、したがって一時的な株価の変調のために資産を総入れ替えしたり生き方を極端に変えてしまえば、それこそ安定期に周りが立ち上がっている中、自分たちだけ取り返しが難しい状態になるかもしれず……冬に備えすぎて春を楽しめないようでは長期的にまったく利がないと思うのです。

マイノリティを理解するマジョリティであれ

経済の分野に限らず、あらゆる選択の機会で思うのですが。

マイノリティになるかマジョリティになるか両極端に走る必要はなく、もちろん誰かに傾倒することもせず、いろんな価値観を理解しミックスして自分のオリジナリティある選択をしていく必要があると思うのです。

マイノリティになることの怖さって、やはり時代に取り残されること、有事の際に救済対象から外れてしまう部分にあります。

では、疑問や違和感に目をつぶってマジョリティ側にいれば安心かと言えばそうではなく、自分で考えることをせず長いものに巻かれて他者に流されやすい環境下にありますから、これまた有事の際に自分にとってベストな判断が難しくなります。

大事なのは、常に自分で決め続けていくことです。そのためには情報のバランスを取らなくては。

そして環境としては、できるだけ安全なところ、人が多いところであるマジョリティ側でマイノリティを理解するのが最も現実的によいのではないでしょうか?

自分が健康である程度豊かじゃなければ何もできないのですから、有事の際は国や制度に守られるべきだし、もらえるメリットは存分に享受すべきです。

国のやり方がどうとか政府の闇がどうと言って、せっかくの救済の機会やメリットを突っぱねてもよいことは1つもありません。

さいごに

私は日経平均が3千円になることも10万円になることも「ない」とは思いません。むしろ、いつかは「ある」ことを想定しておこうと思っています。そのほうが心理的なリスク対策になりますし。

ただし、冷静に考えると、どの道一時的な事象ですから、具体的に資産を総入れ替えするつもりはありません。時代に合わせて分散する程度です。

メディアの偏った論調はこの先もいろんな形であるとは思いますが、せいぜいエンタメと捉えることにします。一時期、3千円・10万円になったところで得をするのは主張したご本人だけです。

では、また次回!

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